入院しました
この4月より、電気通信大学情報理工学研究科に進学しました。
しかし、肺血気胸と診断され、手術のあと入院。
結果として、大学院の入学式は出ることが出来ず、この文章も病院で一部書かれています。
本記事では、私が肺血気胸と発覚するまでの経緯と、病院生活について述べていきます。
肺血気胸とわかるまで
前兆
時は少し遡りまして、4月1日。
この日は朝のバイトを終え、バイト先の友人とマクドナルドで朝ご飯を食べていました。
このときから少し背中に張りを感じていて、肉体労働をして背中をやっちまったかなと思っていました。
今思えば、このときに既に肺に穴が空いていたと考えると恐ろしいですね。
発覚するのは翌日のことです。
普段であれば研究室にそのまま直行するのですが、あまりにも背中がしんどいので一度家に帰宅しました。
実家から持ってきたロキソニンテープを背中に貼り、特に良くならないどころか咳が出始めます。
ロキソニンテープによるアレルギー症状のようなものだと考えていたのですが、このとき既に肺がしぼんでいたんでしょうね。
このときに病院に行っていれば対処は変わったでしょうか……。
研究室に戻ったものの、体調は悪化する一方だったのでとりあえず帰宅しました。
リラックスしようと、仰向きで寝ようとしたところ、背中に激痛が走ります。
急に身体に雷が落ちたようで、どう考えてもこの体勢で寝ることは無理だと悟りました。
姿勢が元々悪く、首肩腰が慢性的に痛いこともあったので、これを気に整骨院に行くか。
と、なりました。
もちろん今思えば、その時行くべきだったのは呼吸器外科なのですが、そんなこと知る由もないので、この機会に整骨院通って姿勢治すかくらいにしか考えていません。
電気治療を受け、横向きでなら寝られるようになったので、とりあえず整骨院に通ってれば大丈夫だなとここで思ってしまいました。
これはかなり痛い選択だったと思います。
ヤクルト、神宮開幕戦
翌日、4月2日。
この日は朝のバイトを休んで午前中に整骨院に行き、なんとか研究室に向かいました。
このとき既に呼吸の異常がなかなかのもので、呼吸がいつもの50%ほどしか出来ない状態でした。
なんというか、呼吸すら満足に出来ないのに、よく研究室に行ったなというところもありますが、このあと野球観戦に行きました。
私は、楽天・ヤクルトのファンで、どうしても神宮球場のヤクルトホーム開幕戦を観に行きたかったのです。
同伴していた先輩に、「やめとくか?」と何度も言われましたが、座ってれば大丈夫ということで押し切ってしまいました。
試合が始まった頃は大丈夫でしたが、回を追う毎に意識があやふやになっていきます。
8回の逆転され、裏に逆転仕返しのところは嬉しくても東京音頭で傘が振れません*1。
手が上にあがらないんですね……。
9回が終わり、無事ヤクルトが勝利すると帰宅を試みました。
しかし、途中で立てなくなってしまい、結局担架で医務室搬送です。
えらく人のお世話になってしまっているのは反省しかないですね。
そのままタクシーで夜間外来を受診することになったのですが……。
もう歩けないため、受付までの移動は車椅子です。
タクシーの運転手にも手伝ってもらい、先輩同伴で夜のお医者さん。
受付を済ませて、呼ばれるのを待っている間に既に意識が飛びそうでした。
問診を受け、「気胸っぽいね」と言われ、レントゲンです。
レントゲンをとったところ、ほぼ確定とのこと。
状態が酷いことになっていたので、別室に移動。
ここで、事件は起きました。
病院着に着替えてくれと言われ着替えをしていたのですが、呼吸困難気味になり、そのまま……
意識、飛びました。
目を覚ますと、横にあったベッドの上。
どうやら3分程度意識を失っていたようです。
自然気胸は、肺の中で風船のようなもの*2が出来ることがあり、それが破裂することで起こります。
今回はさらに偶然肺の血管が破損していたようで、血胸だったということもわかりました。
気胸と血胸を合わせて、血気胸と呼びます。
レントゲン画像によると、血と空気が肺に溜まって左肺が押しつぶされていました。
後から聞いた話ですが、1.3Lもの血が溜まっていたそうです。
結果、左肺に留まらず心臓にまで負担をかけ、血圧低下、最後に心肺停止で意識が飛んだそう。
自分の体験談ながら、恐ろしい話ですね。
救急の方の応急処置もありなんとか意識回復したものの、危険な状態にかわりはないようです。
とりあえず左脇腹からドレーンと呼ばれる管を突っ込まれました。
しかし、これも一時的な処理であり、緊急手術だねと言われました。
いぇーい。
手術
深夜12時半から手術をするよ〜と言われました。
ドレーンが突っ込まれてからは、比較的呼吸が出来ており、よく死ななかったなあとこの時点で考えていました。
たまたま都内に住んでいた伯母夫婦に夜遅くに来ていただき、手術の同意書にサインを貰って準備完了です。
ベッドでガラガラと運ばれ、手術室に運ばれます。
手術室のライトってほんと大きくて眩しいですね。
医療系ドラマでしか見たことが無かったので少し感動しました。
麻酔は部分麻酔ではなく、全身麻酔でした。
マスクを軽く当てられ、深呼吸を要求されます。
この時点で少しウトウトしてきました。
その後、マスクを着けると3秒持たずに深層に潜りました。
麻酔ってしゅごい。
目を覚ますと手術は終わっています。
どうやら手術は無事成功したよう。
しっかりとした左脇下に胸腔ドレーンと、尿道カテーテル、両腕の点滴でフルコースです。
症状は重症だったらしいものの、手術は1時間程度で終了し、麻酔から目を覚ましたのがさらに1時間程度、計2時間を手術室で過ごしたようです。
輸血もされたらしく、もう献血には行けません*3。
2時半頃、HCU*4に運ばれ入院生活がスタートしました。
入院生活
入院生活1日目(4月3日)
手術跡の痛みでほぼ何もすることが出来ません。
痛み止めの医療用麻酔を好きなタイミングでボタンを押して出すことが出来ますが、そのボタンを押すのがまず大変。
何にせよ手術跡が痛いのでね……
さらに病室はかなり暑く、看護師から手渡されたアイスノンがかかせません。
とにかく痛みと暑さで眠れないのですが、疲れや痛み止めの副作用の影響かで眠気が襲うので寝たり起きたりを頻繁に繰り返していました。
とにかくしんどい。
右腕の点滴を、左腕に全部まとめたりしてもらった気がします。
この日に既に水が解禁になっていましたので、飲み薬と点滴のダブルで治療という感じでした。
少し落ち着いて、午後から歩行訓練を行いました。
痛み止めが効いているタイミングだったので、伸ばすと響くものの、小さめの心電図モニタを押しながらなんとか歩いていました。
意外といけるなと思いつつ、痛み止めが切れると相変わらずの痛みで、とにかく辛かったです。
担当医にうまくいけば週末に退院できるからねと言われ、医療ってすごいなと思いつつ、こんな痛いのに退院できるんかいなという感じでした。
入院生活2日目(4月4日)
早いもので、この日はいきなり朝食が出ました。
全粥に、おかず数品、それから朝だからなのかわかりませんが、小学校の給食で出たような小さなパック牛乳がありました。
痛みで食欲も無かったので、付いていたゆかりを全粥にふりかけて、半分くらい食べました。
おかずは全部食べられたかと思います。
正午前に一般病棟に移ることになり、HCUから車椅子で移動させられました。
4人部屋の入り口に近い場所です。
ここまでは順調だったんですよ……
それから少しして、急に右腹部が痙攣。
痛みというよりは「ビクッ」ってなる感じです。
それが激しく、耐えられない状態になってしまいました……
結果、緊急で腹部をCT撮ることになり、ベッドの上でウンウン唸りながら私は運ばれていきます。
担当医が「ストレスで胃に穴が空いたかもね」と言っており、内心ツイてねえなと思いつつも、その辛さは痛みでどこかで吹っ飛んでいました。
CTを撮る時、少し息を止めないといけないのがつらかったです。
とにかくはらいたい。
さらには念の為に造影剤を入れてCTを撮ることになりました。
造影剤は稀にアレルギー症状を起こすことがあるため、同意書を書かされました。
こんなヒイヒイ言ってる人間に、この状況で同意書書かすのかという感じではありましたが、決まりなので仕方ないです。
患者控えも合わせて2枚サインしました。
撮り終わった頃には少し痛みも落ち着いており、自分の病室に戻ったあとは特に何事もありませんでした。
しばらくしてCTの結果が出たようで、担当医が私に「異常は無かった」と教えてくれました。
血液検査も並行でやってもらっていたのですが、特に問題は無かったようです。
結局最後まで原因はわからなかったのですが、個人的には左脇の術跡の痛みをかばった結果、対称的な位置にある右腹部に力が入っちゃたからじゃないかなと勝手に思っています。
謎ですね。
またこの日、術後初めて食事をとったこともあり、これが原因の可能性が大きくもありました。
そして、言われた一言。
「当分、飲食厳禁ね」
入院生活3日目(4月5日)
前日に腹が痛いと騒ぎを起こした私ですが、術跡が痛む以外はかなり元気な日でした。
午前中何事もなく、レントゲンや念の為のCT再検査をこなし、とにかく暇な一日です。
尿道カテーテルもこの日に抜いたかと思います。
もう既に水が飲めないことが堪え始めていましたが、まだなんとか耐えていました。
体調もだいぶ回復していたので、ここで初めてスマホに手が伸びました。
通話さえしなければ、特にスマホに利用制限はありませんでしたが、どうしてもドレーンが邪魔かつ術跡が痛かったので、無を過ごすことで二日間の時を流していたのです。
熱がまだあったのもその一因です。
とりあえず、家族以外の各方面に連絡を入れました。
野球を観て病院まで連れて行ってくれた先輩、彼女、友人、それからバイト先や研究室関連、諸々。
そういえば昨日入学式だったんだなあと思いながら……
そうです。
大学院の入学式は前日の4月4日でした。
入学式に出れないがあまり学籍番号がわからず、諸々の代理人提出してもらう提出書類に関してどうすればよいか、メールで問い合わせをしまくっていました。
さらにはその書類を書いたりと、今思えば熱を下げるどころか、上げるようなことしかしていませんでしたね。
夕方計ったときは38度超えていました。
夕方になってから担当医に今後の飲食について、お言葉がありました。
土日は看護師が少ないから何かあっても対応できない、だから月曜日になったら水飲んでいきましょう。
え、土日水無しっすか?マジすか?
お腹のほうは外科の先生が補助的についていらしたらしく、外科の先生的には土曜日からオッケーなところを、呼吸器外科である担当医の先生が念の為に我慢してくれということになっていたそうです。
こっちは腹痛騒ぎを起こしているので、大人しく先生に従うしかありません。
おみずのみたい……
この日一番嬉しかったのは、先輩と彼女がすぐにお見舞いに来てくれたことです。
この日に限らず入院生活通して、家族以外の人間が見舞いに来てくれるのが一番の心の支えになっていました。
お見舞いに来てくれた皆さん、ありがとうございました。
入院生活4日目(4月6日)
順調だったら週末に退院できていた話ですが、もちろん順調ではないので退院できません。
土日はただただ空腹に耐えていました。
この日は午前中、ついにドレーンを抜くことになりました。
ついに忌々しい3本の管達も、残すは点滴だけと考えると非常に進歩を感じました。
少し驚いたのは、病室のベッド上でそのまま抜いたことです。
実際に抜くときは、とにかく呼吸を合わせ、肺を膨らませた状態でドレーンを抜きます。
肺に余分な空気を残さないためです。
抜かれた際、管がズルズルと身体を抜けていく感触が地味に気持ち悪かったです。
痛いというよりは気持ち悪かった。
跡を塞ぐために、少し縫われました。
こっちのほうが痛い。
ドレーンを抜いたあとのほうが術跡の痛みは少なく、かなり快適になったのを記憶しています。
さらに、この日は洗髪が解禁になりました。
さすがにシャワーはもう一日待ってくれとのことで、頭だけ洗うことに。
地味に左腕にはまだ点滴があるので、左手はシャワーを持って右手だけで洗いました。
とにかく久々にお湯を被って気持ちよかったです。
入院生活5日目(4月7日)
この日は空腹のピークでした。
もう何をしていても、何でごまかしていても、口の中はヨダレで埋め尽くされます。
とにかく腹が減り、とにかく喉が乾き……
非常につらい日でした。
いくら空腹だろうが、点滴がつながっているので生きてはいけます。
完全栄養食を直接動脈にぶっ刺しているので最強です。
唯一良かったことは、シャワーが解禁されたことです。
とにかく風呂に入りたかったので、これは感動モノでした。
点滴は抜くのではなく、途中の管が外れるようになっており、防水テープのようなものを上から貼って水の侵入を防いでもらいました。
お湯を浴びながら、これが飲めればと思ったのは内緒です。
入院生活6日目(4月8日)
来る月曜日、お水解禁予定日です。
午前中にレントゲンと血液検査があり、これに問題なければとのことでした。
しかし、お昼を過ぎても一向に許可が出ず、悲しい気持ちになっていました。
看護師さんに尋ねると、なんと担当医がオペ中でまだ判断が下せないのこと……
どうやら月曜日はオペが多いらしく、とにかくツイてないことがわかりました。
看護師さんにものすごい励ましを受け、死んだ顔で午後を過ごしたと記憶しています。
夕方頃、ようやく担当医がやってきて水のOKをもらいました。
嬉しい反面、私もまた腹を痛めるのがこわいので慎重に水を飲みます。
水、うま――
このとき口にした水のおいしさは、今までで一番だったと思います。
感動的な再会でした。
入院生活7日目(4月9日)
この日はついに口からの食事が解禁になりました。
謎の腹痛からここまで長かったので、朝食が楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。
朝食では三分粥といくつかの緩めのおかずが出ました。
三分粥なのでほぼ粥としての原型が無いのですが、それでも口に入れた時の感動は忘れません。
おかずとして付随していたはんぺんを煮た料理が、はんぺん好きなので地味に嬉しかったです。
何よりも胃にモノを入れるという行為に幸福感を感じていました。
11時頃にシャワーを浴び、お昼ご飯です。
昼食も三分粥プラスおかず。
とにかくゆっくり噛んで食べます。
ヒルナンデス!を観ながら食事という行為に対して幸福を感じていました。
夜になると五分粥で少し米っぽくなってきます。
徐々に人権を獲得している感じがありました。
非常に順調で、退院が目前に迫っていることを予感させました。
そう思ったのも束の間、夕飯を食べ終わったあと担当医がやってきて「何もなければ明後日退院にしましょう」と言われ、ついに退院が決まりました。
レントゲンの結果からも肺の大きさは既に大丈夫らしく、あとは食事をして大丈夫かどうか、だそうです。
明日何も無いことをとにかく祈りました。
入院生活8日目(4月10日)
朝食は五分粥でしたが、昼からはなんと全粥に。
術後に一度食べたきりで因縁の相手ではありましたが、全然問題無く完食。
もうとにかく、食事が楽しくてしょうがありませんでした。
もとから食事が好きな私ですが、一度食事を取り上げられると食の重要性を更に感じたのです。
もう、食べないで生きるなんて……無理……
夜も特に問題なく、まとめられるだけ荷物をまとめ、明日の退院に備えます。
まさか自分が緊急手術だの、一週間以上の入院生活を送るだのなんて考えてもみませんでしたが、実際起こるときは起こるもんなんですね。
実感のわかないようなそんなことを考えながら、金曜締め切りの書類だけどうするか考えて、眠りにつきました。
退院
4月11日木曜日、無事に私は退院することができました。
長らく動きが制限されていたこともあり、エコノミークラス症候群のような感じで、歩いているだけで両ふくらはぎを攣りかけましたが、なんとか調布に戻ってきました。
その足で研究室に戻り、学生証を受け取ったり、書類整理したり、病院食以外のものを久しぶりに食べたり……
ついこないだ死にかけた自分が、一瞬で現実に戻っていく、それはなんとも幸せなことだと思いました。
とにかく生きててよかった。
まだ抜糸していませんし、くしゃみで肺や術跡に響きます。
もう少し通院が必要そうです。
でも、とにかく元気にはなりました。
反省
今回何よりも反省すべき点は、発見の遅れです。
受診が遅れたことで、私の肺血気胸は悪化し、心肺停止にまで至りました。
少しでも呼吸が苦しいとなった場合、素早く病院に行くことが大事です。
出来れば呼吸器外科がある病院がいいと思います。
なんやかんやで私は生きています。
こんな私に快気祝いをくださる変わった人がいましたら、ぜひ下のウィッシュリストから、血圧計・体温計等を買っていただけると非常に嬉しいです。
www.amazon.jp
とにかく今後はもう少し、自分の身体を大事にしていきたいと思います。
各方面、よろしくお願いいたします。